責任を持つとは
以前ある人から「責任を持って行動するにはどうしたらよいか?」と聞かれたことがあります。
僕は「根拠となる情報をしっかり確かめて行動することが大事」だと思いました。しかし彼の答えはこうでした。
「自分でやると決めること。」
この言葉が今でもやけに印象に残っています。
僕は「責任」という言葉が嫌いです。好きな人はあまりいないかもしれませんね。ではなぜ責任が嫌いなのか、あるいは責任を負いたくないのでしょうか。
それは自分でやると決めきれていないからかもしれません。
例えば仕事で、アラサーともなればある程度責任のある立場に立たされることは多々あります。しかしそれが重みになって、プレッシャーになって、うまくいかない思いをすることがあると思います。僕もそうでした。というか現在もそうです。
「なんで自分がこんな責任を負わなければならないんだ。」
完全に被害者意識になっています。それは仕事を任されて、あるいは無理矢理押し付けられたのかもしれませんが、自分の意識でその仕事を「やる」と決めきれていないからかもしれません。
思い切って「わかりました、自分がやります!」という気持ちになれば、「責任を負う」ことに対して気持ちが楽になるのかもしれません。
自分がこれをやるんだ!と決めたことに対しては当然責任を負わなければなりませんし、決めてしまえばあとはやるしかないんだから、案外気持ちが楽になるのかもしれません。
「こんなの無理だよ」と思いながら、それでもやらなければならない状況はとても辛いです。
「こんなの無理、やらない!」と決めることができれば一番いいのかもしれませんが、我々サラリーマンはなかなかそんなわけにもいきません。それであれば一度「わかった、やる」と決めてしまって、「じゃあどうすればそれが達成できるんだろう」と考えることができれば、少しは仕事が楽しくなるのかも。
そう考えると、人から言われて誰かのためにやる仕事よりも、自らの意思で仕事を創り出している人に憧れます。
自分でやると決めることは仕事以外でも重要です。よく言われることですが人生は選択の連続です。意識していなくてもあなたの現在はあなたの今までの選択の積み重ねなのです。そこに自分の意志がどれだけ介在しているか意識したことはあるでしょうか。
今までの人生を「自分の意思で決めた」と思うのか、「なんとなくそうなった」と思うのか、考え方は自由ですが、前者でありたいとあらためて思うのでした。
しかし現在はなかなかそうは思えておらず、モヤモヤした気分でこの記事を書いているのも事実。主体的であるためにも、先延ばしにせずにいろいろと決断していかなくてはならないのだなとあらためて思います。では。